妙見島
都会の裏側
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だけどどこか懐かしく感じたのも事実です。
それは昭和30年代後半から40年代前半にかけての、
地元葛飾の風景でした。
高度経済成長期で、
それまで田畑が広がり、
道路も未舗装部分が多かった葛飾北部を、
宅地整備や産業基盤となる道路の整備などで、
多くのダンプカーや工事用車輌が走り回っていた
あのころの“匂い”でした。
平成16年12月4日
(Baby Rollei)